飛鳥・奈良時代の金工

飛鳥時代には仏教が伝わり、仏教にまつわる金工品の製作が盛んになってゆきます。法隆寺などの奈良近辺の大寺院の金工品も、このころに巧みな技術を持った渡来人によって製作されています。奈良時代に入ると国家が職人の制度を整えはじめ、701年に制定された大宝律令の職員令では技法によって司る官司が決められた。

また、奈良時代の最盛期にあたる天平年間には東大寺の大仏の鋳造とともに、優れた技術によって多種多様な金工品が製作され正倉院宝物や法隆寺宝物録に伝えられている。

このような金工の発達が急速な金属需要を生み、日本国内での鉱山開発がすすみ、また律令制とあいまって、官印をはじめとする様々な印、日本初の流通貨幣といわれる和同開珎などが鋳造されます。

<参考>

  1. 大滝幹夫『日本の美術 第305号 金工-伝統工芸』至文堂、1991年
  2. 村上隆『日本の美術 第443号 金工技術』至文堂、2003年
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