南北朝・室町・戦国時代・安土桃山時代の金工

南北朝・室町時代になると、茶の湯の流行によって洗練された茶釜が作られるようになります。代表的な産地として、筑前(福岡) ・遠賀川河口の芦屋・下野(栃木)・ 佐野天明があげられます。戦国時代には、時代背景とともに刀剣にまつわる金工品の需要が高まり活性化してゆきます。甲冑師によって装飾された鉄鐔が作られ、刀装金具には名品と呼ばれる、春日大社蔵「柏木兎腰刀」や毛利家蔵の「菊造腰刀」にはみごとな彫金が施されています。

また、これより後の江戸時代の金工にも大きな影響を及すことになる、装剣金工師・後藤祐乗もこのころ登場し金工界の活性化の一翼を担いました。

安土桃山時代に入っても続く戦乱により、引き続き刀剣や刀装具製作を軸にして発展してゆきます。同時に、この時代を越え長く続く戦乱は軍資金を必要とし、それにより山や山などの鉱山を抑えての開発が活発になりました。

豊臣秀吉の天正大判は、こうした背景のもと作られました。室町時代に始まったとされる「侘茶」が安土桃山時代に完成され、それとともに茶釜の製作が盛んになります。交易によって外国の南蛮鉄が輸入されることによって新たな金工製造技術が誕生したこと、また、秀吉や利休の元に釜師が集まり三条釜座を作り、茶人好みの京釜を製造したことが要因として考えられます。なお、南北朝・室町時代で挙げた芦屋、天明の系統の茶釜は、この京釜の系統に吸収されてゆきます。

<参考>

  1. 大滝幹夫『日本の美術 第305号 金工-伝統工芸』至文堂、1991年
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