木目金
(もくめがね)
木目金は、板目金とも呼ばれる日本独特の金属工芸技術で、江戸時代に生まれたと考えられています。この技法は、異なる種類の金属を重ね合わせて模様を作り出すもので、世界的にも類例がなく、日本独自の伝統技術とされています。木目金の技法が特に注目されるようになったのは、明治時代末期に東京美術学校(現・東京芸術大学)の教授であった平田宗幸が制作した作品からです。この作品は現在、東京芸術大学資料館に所蔵されており、宗幸の弟子である吉田宗入斉もこの技法を学び、多くの作品を残しました。この技法は「霞打(カスミウチ)」と名付けられ、宗入斉の作品として広く知られるようになりました。
木目金の起源と推定されるものは秋田の正阿弥伝兵衛によるもので、彼は倶利彫(くりぼり)と呼ばれる技法を用いて鐔(つば)や縁(ふち)、頭(かしら)といった武具の装飾を行っていました。倶利彫は、中国の堆朱(ついしゅ)という技法に似ています。堆朱は、色漆を何層も重ねて厚みを持たせ、それを彫刻して色層を表出させる技法です。正阿弥はこの技法を金属に応用し、金、銀、赤銅、銅の四種類の金属を重ねて美しい木目模様を作り出しました。
木目金の技法は、金属を鎚で打ち延ばして平らにし、その表面に独特の模様を浮かび上がらせるもので、秋田の工芸家たちによって研究され、優れた作品が数多く生み出されました。この技法を用いた作品の中でも、正阿弥による「小柄」が特に古いものとして知られ、木目金の歴史的な価値を高めています。木目金は、漆芸から発展した技術を金属に転用したものであり、日本の伝統工芸の中で特異な技法です。